むかしむかし、エジプトがまだテチス海という海の底にあったころの話です。かつてその海の入り江に、クジラの祖先である、四肢を持つ原始クジラが生息していたという証拠を見ることができる場所があります。カイロからナイル川を南に150㎞ほど下ったあたりの砂漠地帯にある、「クジラの谷」と言われる場所です。
突然それを思い出したのは、昔そこへ案内してくれたエジプトの知人から久しぶりに便りがあったからですが、当時(も今もですが)考古学や歴史にさしたる興味がなかった私でさえ、その標本だけは新鮮な驚きで眺めたことを思い出します。地球の歴史上最大の生き物と言われるクジラは、その後本格的に海へと入って行き、水中の生活に適した進化を遂げることになります。
さて、そのクジラたちが海中でお互いにコミュニケーションを取っていることは良く知られていますが、クジラが大きいのは体だけではないという一例が、クジラの中でも最大のシロナガスクジラが発する「声」。その声の大きさを数値にすると、190dB近くあるそうです。ちなみに、ジェット機が離陸する時の音量がだいたい170dBくらいだそうですので、いかに凄まじい音量であるかが分かります。この声で、シロナガスクジラは千km離れた仲間ともコミュニケーションをとることができると言われています。音を妨げるものがほとんどない環境で進化し、聴覚を頼りに、複雑な発声法(クジラの種類によって異なるらしい)を用いて高度なコミュニケーションを交わしているようです。
ところが近年、船舶等が発する騒音が、クジラの音声コミュニケーションの妨げとなっていることが指摘されています。騒音は陸上だけの話ではないようで、海の騒音がクジラの声を変化させているらしいのです。ある専門家の調査によると、世界中のシロナガスクジラの歌の周波数が毎年、数分の1ヘルツずつ下がっているそうです(周波数が高い音ほど、短い距離で減衰し、聞こえにくくなります)。「住みにくい世の中になった」と、現代のクジラたちは海の中でぼやきあっているかもしれません。