以前にこのブログで「伝統文化の中での音の役割」というのを書きました。
この時は室内での様々な所作が発する小さな音が果たしている役割について書きましたので、今回は庭に目を向けてみたいと思います。
「庭」と一口に言っても様々ですが、ここでは日本庭園、ことに茶庭を中心に話をすすめます。茶庭の機能の一つに俗世間にいたお客様が「茶室」という茶人にとっての聖域に入るための儀式の場としての機能があります。茶室に入る前に、手(=身体の外側)を清め、口(=体の内側)を清めますが、その時に耳を澄ませると琴のような音色が聞こえてきます。この正体が「水琴窟」です。
添水(そうず)の音(20秒)
江戸時代中期の武家茶人・小堀遠州によって考案されたとされています。元々は手水鉢の排水設備であったものを庭師の手により改良され、遠州によって茶庭の装飾品として完成されました。
その構造はいたってシンプルで、底に穴を開けた甕(かめ)を逆さにして土の中へ埋めただけです。水面に落ちる水滴の音を素焼きの甕を使って反響させ、その残響を楽しむのが目的ですので、甕を埋める土壌は水はけが良くない(水がたまりやすい)のが理想で、甕の下に粘土を敷き詰めるなどの工夫がされています。構造・しくみは非常にシンプルなのですが、使う甕の大きさや形状、甕の穴の大きさや形状、甕の中にたまっている水の量、そして周りの湿度や気温の変化によって、微妙に音色が変わるのが特長です。(当然1点1点音色が異なりますし、同じ水琴窟でも時の移ろいとともに音色が変化します。)
遠州の時代には未だ手水鉢の排水設備としての機能をも果たしていた水琴窟ですが、江戸後期から明治期にかけて一度は廃れてしまいます。再び脚光を浴びるのは20年ほど以前に朝日新聞に特集記事が掲載され、NHKがこれに追随する形で特番を組んだ時期以降となります。そして、その時には「手水鉢の排水設備」という実用面が取り払われ、調度品・装飾品としての一面が強調されました。結果として水琴窟は遠州の時代のそれとは大きく変貌し、現代では、甕の材質が素焼きだけではなく、金属になっていたり、スピーカを組み込んで比較的大きな音がでるようになっていたりと、様々にアレンジされています。(中には置物のようになっているものもあります。)
だいぶ長くなりましたので、今日はこれにてお開き。いつかまた機会があれば、水琴窟の現代事情など、書いていきたいと思います。