先日、久しぶりにコンサートを見に行きました。ほぼ満席状態の小さなホールで、
内容はクラシック音楽でした。
日本の演奏会などでとても気になるのは途中の「咳払いタイム」です。外国にも
見受けられますが、複数人がわざとらしく同時に咳払いをするシーンはとても日本人
らしいです。他人に迷惑をかけないという心理が非常に強いことの表れなので
しょうか。
とはいえ、小さい子供にはまだその意識がなく、音をうまくコントロールできな
いため、ついつい親に叱られてしまいます。
自分の声や自分から出る音が相手にどのように聞こえ、どう受け止められるかの
感触が身につくまで数年の試行錯誤が必要です。声が小さいときは相手にされず、
大きすぎるときは注意されることの繰り返しで、子供は次第にコツをつかんでいきます。
一方、人工的に音声を駆使する機械(カーナビなど)
の場合、「人格」が求められるわけではなく、期待されることは単に機能を確実に
全うすることにつきるため、「空気を読む」などといった高度な知能は不要です。
ただし、話し相手がAIスピーカーからバーチャルアシスタントやロボットなどへと
進化するにつれ、人はよりスマートな振る舞いを期待するようになります。
ところで、人間も成長するまで長い学習期間を必要とすることを考えれば、機械も
高い知能レベルを達成するまで「教育」してあげなければならないことに納得しますね。
ただ、人間の場合、根気よく注意したりほめたりする周りの人の「愛情」が重要な要素になります。
機械の場合、だれが愛情を注ぐのでしょうか。
そう考えているうちにコンサートは終わりを迎えました。横にいた小さい子供はいつの間にか
親によってホールから連れ出され、もうそこにはいませんでした。
(桜)